福岡の中洲が現在のような大規模な歓楽街に成長した経緯を解説します。

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中洲が繁華街として発展した経緯

 

九州地方でもっとも栄えている歓楽街といえば中洲が有名ですが、中洲が歓楽街として発展した歴史や経緯についてはあまり知られていないのが現状です。

 

中洲は全国各地に点在する歓楽街と同じく、キャバクラやバー、スナックや風俗店などが軒を連ねる水商売密集地として知られています。
現在では飲食店や風俗店などおよそ3500軒が中洲で営業しており、そこで働く人の数もおよそ3万人を超える規模となっています。

 

ちなみに中洲を訪れる人の数は一日に約6万人と言われているので、中洲で働く人のおよそ倍の人が毎日遊びを目的として中洲を訪れている事になります。

 

ウイスキー

元々、中洲はただの菜の花畑でしたがその後、明治時代に入ってから中洲に県立病院や電話局といった公的機関が次々に設置され、さらに大正時代になると映画館や常設劇場、バーやカフェなどが続々と軒を連ねるようになったのです。

 

また、大正時代に地上五階のエレベーター付き百貨店玉屋呉服店がオープンした事で中洲はさらなる発展を遂げます。
ちなみに玉屋呉服店がオープンした初日には何と4万7千人もの客が訪れたとされています。

 

しかし、第二次世界大戦が始まると1945年には福岡大空襲に遭ってしまい、中洲全域が被災してしまいます。
それでも同年末には映画館が復興し、劇場なども次々に復活を遂げます。

 

その後、中洲には10年間で17館もの映画館が立ち並ぶ事になり、同時にスナックキャバレーなども増えてきて次第に日本有数の歓楽街へと成長していきます。

 

そして今ではおよそ3500もの店舗が軒を連ね、キャバクラやスナック、バーやセクシーパブ、屋台といった飲食店が立ち並んでいます。

 

現在も毎日のように人が行き交う中洲ですが、福岡美人が所属するキャバクラや風俗店が多いためにどちらかというと男性の観光客が多い傾向が見受けられます。